4/18の吐け口(レッテルについて)
こんにちは。こうへいです。
さて、今日の吐け口。
フラットに物事を考えるってとても大事だけど、無意識にそう考えられなくなる事がある。真に恐ろしいのはそれだ。
好きなアニメで『グリザイアの果実』という作品があるのだが、気に入っている名言がある。
「確固たる理由もなく、人にレッテルを貼る行為は非常に危険である。それが過大評価であっても過小評価であっても、きちんとした情報もなくそうする事は、自分の目を曇らせ、来たる先に待ち受けるトラブルの原因にもなる。」
言いたいことは、僅かな心当たりのある人達には伝わることだろう(私的)。
レッテルを貼ることの影響
1.事実が見えなくなる。
2.それを信じて疑わなくなる。
3.対象が人の場合、必ず綻びが生じる。
簡単にまとめると上の様になる。
これは、前に紹介した本
『影響力の武器』
の内容にあった
「一貫性とコミットメント」
が発生している。
一貫性...物事を一貫する。突き通す。
コミットメント...自分の立場を明確にする。(この時の「立場」は、賛成か、反対か
のように、自分の支持する物事のようなもの)
これで明確になった立場を一貫性を保とうとする。
一貫性は、それを保つことにより
他人からの評価が良くなったり
別の選択肢の事を考えることからの逃避
といったメリットがある。
だが、レッテルは言わば妄想。更にそれが他人の悪意から生じた場合だと質が悪い。
そのレッテルを公表されれば
貼られた側を知らぬ人々からは、レッテルのイメージが第一印象として刻まれる
ことがあるからだ。
集団でこれが起こると、貼られた側の選択肢は
レッテルを否定し続けるか
自らを欺き、そのレッテルに甘んじるか
しかなくなる。
これは名誉毀損に値し、大きな損害が発生すれば罪として前科が付く大変危険な愚行だ。
周りが一貫性とコミットメントにより考えを縛られ、且つ対象の者は無理な選択肢を強いられる。
なんとも無駄なことか。
これで自らを欺いた(いや、そのレッテルとなった)者もいる。その者が幸せならそれで良いのかもしれないが、それは決して自ら選んだ道ではない。後に綻ぶことは目に見える。
周りの裁定だからだ。
これを見て、本人の意思と反するレッテルを貼りし者よ、
「可哀想だな。」
人間の性質上ではあるものの、誤ってしまったのだから。なんとも可哀想だ。
だがこれを見たら改めるかもしれない。そういう思いも極僅かに存在するから言及する。
人間には得てしてこのような可能性があるので、無関係な人も肝に命じようね。
また今度。