ラーメンのスープって飲み干すとハイカロリーだから、スープ節約のために焼きラーメンにしてみたのだが、べっちゃり具合がパネェ件

焼きラーメンを作ったが、べちゃっとなったぞ!

サバ缶を入れて食べたかったのだが、ゆで時間を早めに設定しないとべっちゃり具合がひどくなるので注意だ!

それと、塩焼きそばに色々と野菜を混ぜて炒めて、最後にチャーシューを添えておけばとりあえず焼きラーメンっぽい体裁は保てるが、やってることはちぢれ麺での塩焼きそばだぞ!

ではおしまい!さらば!



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『響けユーフォニアム』を今更読み終えました。

今の今まで、カバンに入れておきながら読めませんでした。

もしかしたら、いやもしかもしていない。僕は憧れていた。書物の中にある物語、その青春の日々に。

僕はその他大勢と比べればひん曲がっているだろう。人間関係が嫌いだったから、人と同じことがなんだかダメだった。何かしら「自分」というモノを、世界に残したい。そんな欲があった。それは他の人間にも少なからず備わっていることだろう。

だけど、どっちがどっちだと簡単には決められない。程度がある。皆というその他大勢と共に歩みたいという、青春への憧れ。それに反する僕の「他とは違う、特別になりたい」という欲。これらはどちらも存在し、もしかすると両立出来たかもしれない。

だがそんなことも無く時は過ぎる。今ではお酒を飲んでも咎められないし、タバコも許される(それらをすることを僕自身が許さんがね)。戻ることの無い時間を考えるだけ無駄だったってそう思う。そしてその反面、戻りたい、こんな青春を送りたい。そんな思いも心中に確かにある。

そう考えると、なんだかページをめくるのが怖かった。現実と物語との、愕然とした大差に、今の僕が絶望するんじゃないかって。そしてそのまま崩れ落ちて、修復不可能なまでに壊れるんじゃないかって。

だけど、そんなことはなかった。読んでいくうちに、この物語の中の人たちもきっと同じなんだって思えた。何かしらの悩みを抱え、苦悩し、それでも前へ進んでいる。

この『響けユーフォニアム』という作品のように、僕は青春を送ることはなかった。だけど、形が違うだけだって思えた。

だから僕の青春は、これでもいい。
僕がそう思えればそれでいい。

ポジティブシンキングの光と影

どんなものでも、光があれば影もある。

課題を写して済ましている奴が不公平だから自分も友達に写させてもらったら、いつの間にか成績が下がっていたり。
裏技を使えば伝説のポケモン取り放題!という外部ツールを使ったばかっかりに、バグってデータが飛んだり、そうでなくても伝説のポケモンに価値を見いだせなくなったり。

物事のメリットとデメリットをしっかりと理解しないと、それに溺れて後悔することになることはよくあること。

ポジティブシンキングも同様である。

ポジティブシンキングの光


ポジティブシンキングのメリットは、
まず「失敗をクヨクヨ考えないこと」である。
毎放課後の小テストで良い点数が出なかった。出たとしても、負けたくない人に負けてしまった。
ここでポジティブシンキングが活用すれば、失敗に苛まれず、次のステップに進むことが出来る。

つまり、心のフットワークが軽くなるのだ。

次は、他人から見て明るい人に見えるということ。
誰でも、人付き合いをするなら暗い人より明るい人の方がコミュニケーションが取りやすい(個人的には暗い方が気が合うが、大多数は明るい人のがいいだろう)。明るく装う事で、取っ付きやすさを出し、暗い時よりは容易にコミュニケーションできるだろう。

ポジティブシンキングの影

そんなポジティブシンキング。もちろん影も存在する。
まず、本当の意味でのポジティブシンキングをするのが難しい。「まーいっか、次行こう」となればいいのだが、自分を殺すポジティブシンキングをしようとすると病む。

もう1つは、普通に惰性の為にポジティブシンキングをすること。
レベルの低いポケモンで四天王に挑戦しても勝てない、その前のチャンピオンロードで詰むのと同様に、自分の力の過信や現実逃避から生じるものは進歩を妨げる。
つまり、身の程知らずに起こりやすい。
馬鹿らしいかもしれないが、無意識にでもあるからマジで注意。



ポジティブシンキングを活かすために

なら、どうポジティブシンキングをすればいいのか。それは、

自身の現状を認めた上でのポジティブシンキング

これが大事。

「あぁ、テストが60点しかなかった。何でいつもこうなのだろう、頑張って勉強しても理想の点数が取れない。○○君は部活をしてるのに80点も取ってる。わわぁ〜。」

ってなるのと

「60点か、まぁ出てしまったものは仕方がない。まずはどこを間違ったのかを見てみよう。」

ってなるのでは、どっちが健全なのかは明白である。


これを見た自信無き者が背中を押され、勇気を出せたなら、これ程うれしいことはない。

「かみくだく」で、確実に相手の心のぼうぎょを下げる方法

ある本を読んで
「全部これに集約されんじゃね?」
と思ったこと。


あなたは、自分の意見がなかなか人に納得してもらえない時があるだろうか?



そういう時、この言葉を思い出してほしい。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓



「カレー粉、人参、じゃがいも、玉ねぎ、豚肉、お米。これらを何の調理もせずに他人の口に入れようとしていないだろうか?
「ほら、カレーライスは旨いだろ?」
と。」



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酷すぎる大学の特別講義。二、三日目の文句。

気づけば二週間が経過し、記憶の彼方どころか、もう永遠に開かれることのないタイムカプセルとして封じ込めたいこの日々を綴ることから、僕は無意識に逃げていた。
しかし、逃げるわけにはいかない。人間は後悔して、そこから学ぶことかできる生き物である。
故にこんな残念な三日間でも教訓に出来ることを、数少ない読者に伝える。

という大義名分でてきとーに終わらせよう。


前回までの、あらすじぃ!

我が大学と他大学が連携した特別講義なるものは、実は単位を餌にすることで、参加料金30000円を搾取し、学生たちの考えをあわよくば搾取しようとする大人の汚い部分が丸見えなイベントだった!
そうとも知らず参加してしまった僕は、段取りの悪さと主催者の態度の劣悪さ、そして同じ班の参加者に絶望することになる。
さて、そんな出鼻をスレッジハンマーで挫かれた僕が待ち受けるものとは如何に!!?

本編

「コミュニケーション」とは、
互いの意思を伝えるための能力の総称である。

その能力が欠如していることに、僕は絶望した。こんなにも伝わらないものなのかと。

彼らのコミュニケーション能力の無さには、絶える望みなんて端から存在していないのかもしれない。

僕が何回
「「これ」っていうのは、○○のことやんな?」
と確認したかわからない。少なくとも両手両足では足らない。
指示語ってのはわかる。「これ、あれ、それ」と省略することで、いちいち言葉を紡がなくてもいい言語のシステムだ。
だが、それは意志が伝わらなければ意味がない。
仮に
「いや、それは○○君に話してたことで...」
と言われたとしても、グループワークというものを全く理解していない。まぁ僕が真にグループに 入っていたかどうかはわからないが。
そんなこんなが続くもんだから、わざわざメモ帳に色々と書かなくてはならなくなった。お陰でメモの良い練習にはなった。
(ちなみにこのメモ練習は、数少ない本講義の僕のメリットである。)

更に、僕が意見を出しても必ずといって良いほど否定する。半分妬みだからそれはどうでも良いけれど、自分の意見を全然曲げないところがなんともなぁ。
彼らは、色んなものに対して悪いところを見つけられる能力に長けているんだろう。そのせいもあるかもしれない。
まぁその点、こんなことを書いている僕も人のことは言えないが、悪いところを見つかられるということは、隠れたデメリットを消せるという意味では素晴らしい能力だとは思う。それが自分にも向けられればの話だが。

夜中に集まって発表内容の最終仕上げ。
夕飯前の時間に、急遽違う企画を考えないかという意見が出た。たまに先生によるアドバイスが貰えるのだが、その影響だろう。
だがます無理だ。どうせ良いものにならないなら、今まで構成してきたのを発表する方がまだましというものだ。
色々と話していた結果、何とか軌道修正に成功。だが失った時間は戻らず。リスタートしようとする時刻はすでに日を跨いでいた。

僕はやることがないので、何か困ったことがあれば動けるように仮眠。発表も彼ら三人のうちの二人がするという。
もう勝手にしろ。

翌日。目が覚めると
何と!
オールナイトで荒野行動しているではありませんか!
オールナイトで荒野行動をパーリナイだ!

発表の時間は昼を過ぎてから。
昼食はいつも班で食べていたのだが、片付けをして
いざ皆とランチタイムだ!
と思っていたら、班員が全て消えるという事態。おいおい、まさか集団迷子ってか?まぁ見捨てられたってことだろう。

その昼休み!
僕はその現地のお店にポケモンショップがあることを知っていたのだ!
ポケモンショップだぜ?行かなきゃ損だろうよ!
しかもタイミングよくソロにしてくれたんだ!
僕は急いでショップへ向かい、ポケモンアイマスクを買ったんだ!
やったぜ!ゲットだぜ!

(ちなみにこれが来てよかった最大の思い出である。)

後の発表はまぁ形にはなり、何事も話さずに解散。


唯一後悔があるとすれば、別の班で仲良くなった人と連絡先を交換すればよかったということである。これからこんな機会があれば是非交換しておこう。



ってな感じの三日間でした。
記憶が新しければもっと分かりやすく伝えられたのかもしれないが、モンハンが楽しすぎたのがいけないな。


皆も詐欺まがいの講習には気を付けよう!

酷すぎる大学の特別講義。一日目の文句。

まず、ここで語る内容に固有名詞は極力入れないように心がける。何かサーチされて「あ、あの人はてなブログでこの前のこと愚痴ってる」とか言われたら傷つくじゃん?

 

 

本題

まず、僕らはこの講義に参加する代償として、30000円を支払っている。何でこんな大金を支払ったのかというと、

「この講義は、ある高級ホテルに二泊三日で行われるんだ。そのホテルっていうのが、30000円では宿泊できないような部屋が用意されてるんだよ」

との言葉を信用しての決断だった。

まぁ最初から修学旅行的な感覚だったので、宿泊費以上のものがもらえるなら嬉しいことだと、あっけらかんと考えていた。

 

が、相部屋である。

こういうトリックとは名ばかりなものに騙されるとは思わなかった。大学ってのはこうやって人を騙すんだなって思ったね。

 

だが、まぁここから金では買えないような経験が待っているのだろうと期待していた。

 

この講義にはいくつもの大学から人が集まって、単位欲しさの人間が多いらしいことは、最終日に知ったことだ。

そのメンバー総勢29人を6つの班に分けるのだが、企画側はそこで立候補を募ったのだ。だがなかなか現れない。現代っ子特有な現象だとは思っていた。僕も挙手はしなかったのだが、今にして思えば、実験がてらやるべきだったと後悔している。どうせなら色々やるべきだったとね。

 

このように挙手しないのは例年通りらしい。なら尚更ランダムにすればいいのだが、何故かしないんだなぁ。

 

なんだかんだ集まった6人。すると企画側は、「その6人のところに自由に集まれ」と言い出した。

 

なんとも残酷な人たちだろう。勇気を出して挙手した若者たちで人気投票をさせたのだ。こんなの集まらなかった人はかわいそうじゃないか。だが、企画側はそんなの考えてもいないらしい。そこで怒りをおぼえた。

 

その後なんだかんだで班が平等に割り振りされ(ここまでのくだりをシャッフル一つで短縮できたのに)、その講義が始まった。

 

内容はざっくりいうとこう。

「ここの地域に、空港からお客さんを呼ぶにはどうするのか、皆さんでグループワークしてね」

最初に聞いたときは「こうやって若者の考えを援用するのか、ひどい話だな」とため息ものだった。しかし、お金をもらっておいてそんなことはしないでも、「知恵を貸してください」というように、謙遜を交えながら学生の考える力を育もうとするのだろう。そう考えていた。

 

「君たちはこの講義に参加したことに誇りに思っていい。」

 

企画側のこの発言には驚いた。

「えー!!?お金貰っておいてそんなに傲慢になれる人間がいるの?」

と、最早新種の珍獣を見られたことに感謝をしながら慰謝料を請求したい気分だった。

 

参加することに意義がある

という言葉を信じていたのだが、煌びやかな雰囲気はきれいさっぱりなくなった。

 

 

そして、グループワーク。

この班がまた癖のある人たちだった。めっちゃウェーイしてる。更にはたばこ吸ってるから基本的にイライラしているのでかなり扱いに困った。そんなスモーカーが二人いる。4人中2人だ。手に負えない。

 

そして、僕を除く3人はかなりウェーイな方々で、僕がないように口を挟んでもあまりいい反応しないくせに、中身がない話にはめっちゃワイワイ話し出す。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、取り残されてる感が否めない。

 

そこまではいい。

別の班を馬鹿にしだしたのだ。こいつアイス食ってたんだぜ(だからなんだよ)とか、あいつプロデューサー(マジでだからなんだよ)とか。

 

とにかく、僕が一番嫌う

他人を出汁に盛り上がる連中の班だったのだ。

やっぱりどこにでもこんな考えをしてしまう人っているんだなって、悲しい現実を目の当たりにできた一日目だったよ。

 

 

続く。

酷いと思うだろ?これ、一日目なんだぜ?