「継続」の素晴らしくも〈恐ろしき〉パワー
最近、小説を書いていて思ったこと
「めちゃくちゃ書いたわー!!」
と思っていても、字数にしたら5000ちょいだったりする。
「あれ、こいつ敬語だっけ?一人称なんだっけ?」
と、見返すなかで
「この表現はないわー、なんか早く展開変えたい感が出てるな」
の連発で先に進まない
単純に「あー、だるい」
Bluetoothのキーボード買って、タイピングには結構慣れてきた。もうこっちの方が速です。
↑
と、何気なく打ったら、常体敬体が混合することもしばしば。
内容考えてる最中で、そういえば何かやっていたなーって思い返して
「あ、ブログやってねーわ」
と思い出しました。
誰も見ていないんだろうなぁと不貞腐れている間に、行動が逸れてしまっていたようです。
といっても、ブログの目的の
「文章力を鍛える」
が小説で養われていたので、あんまり後悔はなかったんですがね。
でも継続できないのはいけませんね。続けるなかでやる気が失せるのは良くあること。面白いゲームを無心でプレイし続けると飽きるあの現象です。
(楽しくしていたブログが、慣れてつまらなくなったわけです)
これは、行動のなかに新しいものがないのが理由の一つだと言われています。
人間同じことをすれば、無感情になってしまう。
実はこれ、ネガティブな行動にも当てはまるんですねぇ。
やっぱりモノは使いようなんだと、これを知って痛感しました。
つまり、
ネガティブなこと(やるべきことなら)は
継続して我慢に我慢をすると、ネガティブ感情を感じない。
ポジティブなこと(楽しいこと)は
無感情にならないように、適度に感覚を空けてやろう。
ということです。
ダイエットがそれだよね、最初はキッツいんだよ。
でも、続けると慣れます。
良くも悪くも。
「友達といつも楽しくしている人たちは、破滅が近いということさ。フフフ」
おっと失礼。
節度を保って娯楽を!
無心になるまでネガティブを!