お母さんのフーフーは正義という話。
ダイエット時代、ネットで色んなダイエット方法を調べたもの。そのなかで、実際に科学的にも正しい方法が一つあった。
「ご飯はゆっくりと食べましょう」
理由は色々あると思う。
「よく噛むと細かくなって消化されやすい」
とか
「唾液中の消化酵素であるアミラーゼが、デンプンを糖に変える(デンプン限定)」
とか。
なるほど、ゆっくりと食べるのがいいんだなぁ。
でも、何でゆっくりと食べられないんだろう?
と、僕は疑問に思った。ゆっくりと食べようと思えば、人間頑張れるだろう。だが、このような方法がまるで異質な方法であるかのように言われる節があるのは何故なのか?
一つ、僕なりの答えが出た。
料理は普通熱い。そして、熱いものはゆっくり食べようと思うと、ハフハフして難しい。だからさっさと喉に通しているのではなかろうか。
結果、ご飯をせっせと胃袋に収めることになる。
つまり、冷ませばいいではないか。
結論
母親のフーフーは実は結構大事。
母親である必要はないけれど、フーフーしてから食べるように心がけるか、冷めてるものをゆっくりと食べる事が大事なんだなぁ。
久しぶりにブログを出したよ。
この調子で少しずつ増やしていきたいので、次はこの前の二泊三日に関する愚痴を三回に分けて話そうと思います。ブラックな感じのね。
捨てる神あれば、拾う神あり。その心は?
かつて、僕はこの言葉を誤解していた。
「捨てる神」つまり自分を見捨てる者がいる。まぁ当たり前だ。それは自分という存在が神にとって不必要な存在か、それ以下になり下がった時に生じる。
社長「君、もう来なくていいから」
な感じのあれである。
一方「拾う神」、自分を拾う者もいるということ。これも当たり前。先とは対照的に、自分という存在を必要としているからこそ拾ってくれる。
僕の誤解釈はこうだ。
「ま、あいつは捨てる神だし、拾う神じゃなかったってだけだ。だから気にしなくてもいいや」
と、ある種励ましの言葉として捉えていた。
これは半分正解で、半分間違い。
神とは
人間だ。「神」は神ではなく「人間」なのだ。
つまり自分の都合を最優先にする生き物である。その都合に自分が合致して初めて、その者は自分にとっての「拾う神」となる。
小中学生に勉強を教えてくれる人を求めている企業に、ちゃらんぽらんな頭脳を持った人間が応募しても、その求人を出した企業は絶対に拾う神にはなり得ない。
だけど、その神を拾う神にする方法がある。
もう分かっただろう。
自分を鍛えること。それしかない。
もう一つの大事なもの
拾う神に拾ってもらうために必要なものだ。何だろうか?
それは、拾う神が拾う神であると自分が認識すること。
中には悪事に利用するものも一定数いるもので、コインロッカーの紙袋を運ぶだけで10万円!とかいうのもなくはない(古い?)。
そういった悪い人間の差し伸べる手を無視して、ちゃんとした拾う神の差し伸べる手を自分が拾わないといけない。これが一番重要。
自分を鍛え、拾う神を見分けられる観察眼を持て。
カエルと昼寝と久しぶり
最近カエルを飼い始めた。
名前は「ガマガル」。ポケモンBWのカエルのポケモンからそう名付けた。最初に飼っていたカエルが小さかったから、「オタマロ」の進化形で「ガマガル」だ。
ガマガルは今日も必死に顎をアゴアゴしている。
かわいい。
そして今日、ガマガルが飼ってきたコオロギを召し上がってくれた。最初はフンしかしてなかったガマガルは、やっと「たくわえる」と「のみこむ」を覚えたのだ。
これで耐久面はばっちりだ(ポケモン的な意味で)。
そんなガマガル、名前を調べると「ヌマガエル」というらしい。正しく同定できているか知らないが、かわいければいい。
かわいいは正義なのだ。
写真は明日だそっと。
さて、久しぶりにブログを書いているのだが、これといったネタが思いつかないので、こんな感じになってしまった。というのも、長期休暇が暇すぎるのだ。
そんな時
「やべぇよ、何かしないと時間が消えてしまう...」
ってな感じで怯えてたわけ。でもやることはあるんだ。ならすればいいって思うじゃない。でもなーんかできないんだよね。ちょっとはやるけど。
だからあえて寝る。昼寝する。
こまめに脳をリセットさせることが、タスク効率を高めるコツなのだとか。
これでもひねり出した方なんだぜ?頑張ったから寝させてくれ。
オ、オレ...故郷に帰ったら、学校行くよ...(死亡フラグ)
冷蔵庫の冷却機能が停止した。夜だ。
いつも家族の食材を冷やし、保存し、またある時は保温もしてくれた。
夏にはキンキンに冷えた氷でそうめんを冷やした。
灼熱地獄な猛暑にはひと時のオアシスを提供してくれた。
そんな冷蔵庫は、今、「庫」だ。箱だ。
今日かき氷を作ろうとして氷を出そうとしたんだけど、水がびちゃっとしてて、
「自動製氷がバグったのかな?」
と思っていたんだけど、今思えば、あれは、最後の冷気だったんだ。
手を入れたときはゾっとした。昔おじいちゃんのお葬式に、おじいちゃんのほっぺに手を当てた時、生きてるような肌触りなのに、まるでぬくもりを感じない。それとはまるで逆の感覚だった。
あって当たり前だった冷蔵庫の冷たい温もりは、生暖かい空虚なものになっていた。
「これは、「空洞」なんだ。
繋がれたコンセントは完全に繋ぎなおした。
だが、既にいないんだ。
どこにもいないんだ。魂は。」
ありがとう冷蔵庫、さよなら冷蔵庫。
ナランチャァァァーーーーーー!!
『心が廃りかけているんだ』
やりたいことが多すぎて何もてが付けられない病にかかっている。助けてほしい。
本読んでたら
「お前宿題あるだろう」
宿題やろうとしたら
「休みなんだし、今日は自分のしたいことしようぜ」
マリオメーカーやろうとしたら
「おまえ宿題あるだろ」
のループに陥っている。解決策あんのこれ?助けてくれ。結局何もしないまま時間だけが過ぎていくんだ。おかしくない?もう病気だよこれ。精神おかしくなってるんだってこれ。
長期休暇怖い。
人を動かす関連の本にあった面白い例え話
ある二人の息子を持つ母が
「独り立ちした息子たちが手紙をよこさない」
と、彼女の兄に悩みを打ち明けた。
兄は
「なら、僕が彼らに手紙を出すから、返事が来るかどうか100ドル賭けよう。手紙には返事を催促するような内容は書かない。」
と申し出た。彼女は賭けに応じた。
兄は手紙を出した数日後、息子二人から手紙の返事が届いたのだ。
兄の手紙はごく平凡な内容だったのだが、追伸に「小遣いとして5ドル与えよう」と加えられていたらしいが、その現金は入っていないかった。
まんまと息子二人は手紙に返事をした。そして兄は賭金100ドルを頂き、5ドル×2を息子に小遣いとして渡した。
僕「賄賂で草。」
これは
「人が何を欲しているかを把握すれば、人を操ることができるよ!」
という内容です。
息子二人は
「小遣いが欲しい!」
という欲求を刺激されて、兄の
「二人に手紙の返事を出させる」
という願望通りに行動しました。
要は
「人を動かしたくば、他人の欲するものを知れ」
ということですね。
この本です。さぁぽちったぽちったぁ!!
- 作者: デールカーネギー,Dale Carnegie,山口博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 1999/10/31
- メディア: 単行本
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責めてマウントを取る人へ。
他人のせいにしてしまいそう時は
「反省」を「負け」と捉えるのではなく、
「反省」を「進歩」と捉えよう。
仮に他人のせいなら、それを許せる寛容さを持とう。